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「変な気分だ」
 氷河はシェリー酒のグラスを舐めていた。ソファでくつろぐ彼を背に、俺は皿洗い続行中。
「あなたのことが、ずっと嫌いだった」
 俺は無視した。
「先生と一番親しい奴なんて、ほんと目障りだった。でも先生の話をする相手が、あなたしかいないなんてね…。ほんとに皮肉な話だ」
 氷河はまた黙り込み、じっとグラスを握り締めている。

 氷河は、多分、もっと違う形でカミュと出会うべきだった。
 シベリアの家に泊まりに行ったとき、こんな情景を見たことがある。
 カミュはよく居間のソファで居眠りをするだらしないくせがある――いや、くせがあった、と言うべきか。シベリアの家のことを考えると、彼は今でもそこに住んでいて、それでここにはいないのではないかという気がしてしまう…。暖炉の前に置いた衝立の傍で、ソファに寝転んでカミュは眠っていた。俺は客間で、石ころのように降り続く雪を窓外に眺めながら、ぼんやりとベッドに寝そべっていた。バーボンの入った熱いコーヒーを思い描き、俺はキッチンへと向かう。キッチンへは、居間を通る。
 ひざまずいた氷河の口唇は、眠るカミュの耳許にあった。触れそうで触れないほんの紙一重の位置で、彼はじっと止まっていた。指も口唇も、ごく薄いなにものかに阻まれているかのように、ほんのわずかのところで止まっていた。その薄い何かの上から、じっと彼はカミュを愛撫していた。それは、確かに。
 俺は何気なく居間に足を踏み入れ、氷河は何もなかったように、カミュの肩に暖かい織物を引き上げた。コーヒー飲むか?いえ、いいです。そのときの取り澄ました声色を思い出す。カミュは呑気に目を覚まし、一杯くれと言った。

 水道の蛇口を閉め、グラスを麻布の上に伏せると、俺は手を拭いた。ソファの上にうずくまっていた氷河が、ぐるりと振り向きソファの背越しにこっちを見た。
「明日、私室を整理します」
 俺は残っていたコーヒーをすすりながら、軽くうなずいて見せた。氷河は目を落とし、うなだれると、元の場所に収まった。
「なんで俺が」
「当たり前だろ。おまえは弟子なんだから」
「一緒に来てくださいよ。あなたにも義務がある」
「んなもんねぇよ」
 振り返ると、氷河はいつのまにか立ち上がって、暖炉の上の写真を見ていた。数は少ない。いくつかの親しい人の写真に混じって、俺とカミュが写った写真がある。これでもう、飾られた写真たちの中で生きているのは、俺だけになってしまった。
 俺は黙ってきびすを返し、ドアを閉めた。

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