カミュが俺の口唇をキスで塞ぐ。柔らかな舌が俺の舌を探る。
「指輪を買った」
強引な仕草で俺の手を取り、俺の指に指輪を滑らせた。薬指にはめようとしてカミュはしばらく難渋していたが、やがて諦めて俺の小指にその指輪を嵌めた。
「誕生日おめでとう」
カミュのフランス語の響きは、俺を興奮させる。それは、単なる「誕生日おめでとう」に過ぎないが。
「きれいだろう?」
俺の目の前に、俺の左手を持ってくる。小指には透き通った薄い褐色の石の指輪が嵌められていた。
「きれいだな」
地金の銀色の部分も、見事な透かし彫りがされていて、ほんとうに美しい指輪だった。石も大きくて、吸い込まれそうな輝きを放っている。カミュがまた俺の口唇を塞ぐ。俺の頭を抱え込んで、舌先で俺の口の中を弄ぶ。
俺たちは口唇を貪りながら、夢中で互いの身体を撫で回した。ペッティングしているときが俺は一番好きだ。カミュの長い睫毛、瞳の色、薄い、神経質そうな耳朶、絞り込まれた体の線、それでいてどことなく少年のような危うい感じのする骨格。ミロ、と俺の名を呼ぶ、熱に浮かされたような、少しかすれた声。ミロ、愛してる。俺も彼の名を呼ぶ。愛してる。俺のほうが、より愛してる。
「どこへも行くな。俺のものになれ」
カミュは上目遣いで、とても複雑な表情で、言う。わたしは、ずっと前からおまえだけの、ものだ。俺は笑いの発作に襲われながら、そんなの嘘だと言う。カミュは浮気性で、いろんな男女と次々に恋に落ちる(そしてセックスする)。時々俺のところへ帰ってきて、何も言わずに俺を求める。俺たちはエクスタシーを共有する。やがて時間の差はあれ、カミュはまた出て行く。いつも大体同じ繰り返しだ。じゃあどうして、俺を置いて行く。俺でない誰かに、どうして抱かれるんだ。カミュはひどく真剣な顔で、誰かに抱かれていてもおまえのものだ。と言う。わたしの男は、おまえだ。
不覚にも、俺は興奮した。mon hommeという、カミュの言葉に。俺がどんなに辛い思いをしているか、わかっているというのか。おまえが、誰か他の男に抱かれ、他の女を抱いているとき。カミュは口唇の端を笑ませる。
「美しいおまえを、苦しめるのがわたしは好きだ。
「他の誰もから求められ続けている、おまえが、わたしを思って涙を流すのが、わたしは好きだ」
おまえは残酷だ。血を吐くように、俺の口を突く言葉。それに対する言葉は。おまえを愛している。おまえを愛している。カミュは俺の口唇をキスで塞ぐ。俺は涙を流す。おまえを愛している。身体を蕩かせるような響きだ。
「わたしを思って悲しい夜を過ごすのか、おまえのように美しい男が」
「おまえは屈折している」
「おまえを愛している」
だからほら。指輪を買った。トパーズ。おまえの誕生石だ。
カミュは身体を起こして、また強引に俺の左手を掴む。おまえを悪いものから護ってくれる。そして、似ていると思わないか?わたしの目の色と。歌うような調子で、得意げに、カミュは言う。その目はきらきらと光ってほんとうに宝石みたいだ。わたしの瞳の色が、おまえの誕生石の色だなんて、とてもロマンティックだろう?そしてまた、カミュは俺の頬や口唇を、指で撫で回し、深く接吻する。
おまえがずっとそばにいてくれたら、俺には何もいらないのに。このきれいな指輪も、ジンクスも。俺は言いたかった。カミュがずっと口唇を塞いだままなので、言えなかった。俺たちはやがてすごく欲情して、そのまま服を脱ぎ、物言わぬ獣みたいになってしまったからだ。
朝起きると、カミュはもう出て行ったあとだった。行き先はシベリアだ。
俺はだるい身体を引きずりながらキッチンへ向かった。食卓の上は、昨夜の宴の残骸だ。コップ三杯の水を飲み、俺はのろのろと晩餐の後を片付け始める。写真が散らばっている。昨夜酔っ払って撮ったポラロイドだ。俺はそれらを検分し、一番ぶれてない一枚を飾ることにした。今年の俺の誕生日の記念として。
暖炉の上に寄せ集められた写真立ての脇に、昨日の指輪の箱があった。カードが立てかけられている。俺は写真を置き、何気なくカードを開いて見た。きれいな字で「誕生日おめでとう、ミロ」と書いてある。その下、いつものカミュの汚い字で、何事か書き加えられている。
なぜおまえなんだ。おまえでなければもっと事は簡単なのに。
そうだな。と俺は微笑した。俺が天蠍宮なんて面倒なもの預かってなければ、誰でもないような人間だったら、俺は一生カミュの傍に居られただろう。今朝のロシア行きの飛行機にも、一緒に乗れただろう。
傍に転がされていたペンで、俺はカードに書き加えた。簡単な恋なんてないよ、カミュ。
俺は指輪をまた嵌めてみた。ずっしりと重い。王侯貴族になった気分だ。トパーズの微妙な美しい色。ためつ眇めつして、俺は指輪を箱に仕舞った。俺はこれから食卓を片付けて、皿を洗わなくてはならなかった。
end
2008/03/29
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