カミュは高い場所を歩くのが好きだ。堤防の上や、塀の上、手すり、ガードレールの上。 今も酔っ払って、ビールを片手に、金属の棒の上をふらりふらりと歩いている。見上げたカミュの向こうに、天の川が見える。よく晴れた夜で、月はなかった。 「酔ってるときくらい、地面を歩けよ」 落ちても知らねえぞ、と言うと、お断りだ、というような意味のことをカミュは言う。 「高いところを飛んでいたいんだ。今は飛べないから、歩いてる」 時々ひそかに、俺はカミュの正気を疑うことがある。あんまり人里離れて寒い所に暮らしたりするから、ほんとに脳ミソがイカレちまったのか。もしくは、ちょっとおかしい奴だと思ってたけど、ついにきたか。とかいう思いが俺の脳裏を行き来する。 「アタマガオカシイとか思っただろう、今」 酔っ払いは時に鋭い。 「飛んだことがあるのかよ」 「夢の中でな」 ビールを一口あおって、両手でバランスを取りながら、曲芸のような歩行は続く。 「おまえはどうして、高いところを歩かないんだ」 カミュに合わせて至極ゆっくりと歩いている俺は、返答すら面倒だったが、肩をすくめて見せた。 「歩くために地面があるんだ。地面を歩けばいい」 上のほうからカミュの声が降る。 「高いところを行けば、違ったものが見えるぞ」 「俺は常識人なんだよ。地に足を着けて生きるんだ。人と違ったものを見るのはおまえだけでいい」 ふうん。とカミュはため息のような声を出す。俺を説得するのは諦めたらしい。 「じゃあ、わたしが足を滑らせたら、おまえが抱きとめろよ。いいな」 「ちゃんと俺のとこに落ちて来れたらな」 今から試しに、と言いかけて、カミュは間抜けな声を出した。バカめ、ほんとに足を滑らせやがった。俺は俺のメンツを守るために、全力を出してカミュの下に滑り込んだ。背中と膝にカミュの重みが衝撃として加わる。いて、と言うが、より痛いのは俺だ。 肩口から抱えおろす。立たせてやって、ほらな、危ねえだろと言うと、カミュは酔っ払いながらも神妙な顔で、ありがとう、と言った。左手は溢れたビールでびしょぬれだ。滴や泡をシャツで拭きながら、カミュは再び歩き出す。今度はガードレールの上ではなく。 カミュが言う。酔ってなければ落ちなかった。 この期に及んでの負け惜しみに俺は呆れ、次はないからな、と返したが、カミュは半分減ったビンの中身に口をつけながら、黙って俺の目を見つめ、笑った。そんなこと言ったって、知っているよ、おまえがわたしを絶対に見捨てないことくらい。カミュの眼はそう言っていた。畜生。それは真実だった。 ガードレールが途切れた。聖域へと続く森へと、細い道は続いている。空には天の川、俺たちは歩き続ける。
end
2011/06/12